音読でTOEIC970点に到達した関連の記事をずっと書いています。
「英語を音読をすると、読むのが(黙読するのが)遅くなって、リーディングパートで困るのでは?」
と思ったことはありませんか?
音読をすると、目で読むのよりは当然遅くなる。
だから音読のスピードに慣れてしまうと速く読めなくなってしまう。
だから音読はしないほうがいい。
一見、理屈が成り立っているように見えますが、前提が間違っています。
「音読だと黙読よりも遅くなる」というのは、母国語の話。
日本語の文なら、音読より黙読のほうが確かに速く読めるでしょう。
これは、母国語だからできることです。
文字情報から意味・イメージをつかむスピードが十分に高められているため、パッと文章を見ただけでも話題や概要が把握できます。
そして、実際に文を読んでいくときも、読み戻ることなく文構造を把握し、意味を理解しながらスピーディーに読み進むことができます。
こうした「速い精読」ができるのは、母国語である日本語に習熟しているからに他なりません。
一方、英語の場合は状況が違います。
そもそも単語と意味・イメージとの結びつきが日本語のときと比べて格段に弱いです。
apple、book等、物を表す言葉ならイメージはわきやすいかもしれません。
しかしnecessary、available、confirmなど抽象的な言葉では、そうはいかないでしょう。
そのうえ、文構造を理解するのも日本語より時間がかかります。
関係節などを含む文では、主語と対応している動詞がどこにあるのか把握するのも大変です。
つまり、英語の場合は「黙読のほうが速く読める」ということがそもそも当てはまりません。
冒頭の「音読をすると読むのが遅くなる」云々はナンセンスです。
時々、只管朗読を誤解して、音読は黙読よりも読書スピードが落ちるからダメだという類の論を主張する人がいますが、これは只管朗読の趣旨の全くの誤解です。
「国弘流 英語の話しかた」国弘正雄(たちばな出版)より
「速く読める」とは、書かれている語順のまま理解できること。
すでに習熟している母国語において「速く読める」という場合には、早口言葉のように速く正確に口を動かすことや、「速読術」のような技能(?)のことをいうのでしょう。
しかし英語学習において「速く読める」とは、口や目を動かすスピードのことではありません。
英語を、日本語に変換することなく、書かれている語順のまま意味を理解しながら読み進むことができることを指します。
行ったり来たりせずストレートに読んでいけるということですね。
「英語を英語のまま理解して読めるようになる」ためのトレーニングメソッドとして、「音読」と「黙読」のどちらが優れているか?という議論こそが本質的な部分です。
音読は、英語を英語のまま理解できるようになる最良の方法。
音読のもっとも良い点は、声を出すという身体運動に、脳内の活動が強制参加させられる状況になることです。
文を左から右に声を出して読みながら、頭の方では語順をひっくり返して意味をとる、そんな芸当が出来る人はおりません。音読する声の流れに、意識の流れ、つまり意味の流れも従わざるを得ないのです。
もう、おわかりでしょう。英語をひたすら音読することによって、英語の語順どおりに意味をとっていくという思考パタンが脳の中に深く刻まれるのです。いったんそのパタンが刻まれればしめたものです。おなじパタンに出くわせば、直ちに文頭からそのまま読んで意味がわかります。黙読でもそれが出来るようになります。
「国弘流 英語の話しかた」(前出)
黙読だと、速く理解しようと思って、あちこちに視線が飛んでしまいがちです。
つまり音読よりも集中力が求められるので、学習法としては逆にハードルが高いのです。
リラックスしていても実践できる[音読]をするのが得策です。